およしのデジカメ日記
〜今日は何処へ行ったやら〜
パート1 :歴史散歩 2005年7月14日(木)

年お世話になった重たいデジカメに代わって今日のおよしは新しくて軽〜〜いデジカメを携えて久々のお散歩です。少しはましな画像が撮れたでしょうか???
俄雨を覚悟して傘持参でしたが、降らず照らずの上々のコンディション。
振り出しはJR新大久保駅の改札口でありました。いざいざ出発!

先ずは皆中稲荷神社です。
江戸時代、幕府の警護の為の百人組と呼ばれた鉄砲隊が住んでいたからなのだそうです。早速タイムスリップです。

この神社の名前、「カイチュウ」は撃った弾が皆中るという縁起からつけられたとか。成る程。


皆中稲荷神社のすぐ近くにまします、「禁煙地蔵尊」です。江戸時代此のあたりに鉄砲隊の火薬があり、それに火がつくといけないからという説もあるらしいですが、それはさておき、御利益があるならば、是非ヘビースモーカーの配偶者と息子を連れて来たいものです。背が高く、尊いお顔ははっきり見えませんでした。

しあわせ薬師如来とくれば、お参りしたくなります。
下の画像がそのお寺です。
何と、立派なホテルのような建物でした。
この長光寺は島崎藤村にゆかりお寺でもあるとのこと。。「」内はリーダーのおじさまのお話です。
「長光寺では、三女縫子、(明治38年5月6日没) 次女孝子、(明治39年4月7日没) 長女みどり、(明治39年6月12日没)の葬式をしています。
「破戒」を脱稿し、出版したのと時期的に重なります。」

ちなみに藤村の没年は1943年ですから次々に3人もの子供に先立たれた藤村の悲しみはいかばかりだったでしょう。

おしゃべりをしながら辿り着いた所はラフカデイオハーンの胸像のある小泉八雲記念公園です。
ギリシャ人の小泉八雲は新宿区大久保1−1で亡くなったのだそうです。故郷に因んでギリシャ風の作りになっているという公園には夏の花が鮮やかに咲いておりました。大きな黒い揚羽の幼虫のような毛虫がいて、リーダーのおじさまは大きな虫眼鏡を使ってデジカメでパチリ。一つ勉強!
ここは新宿区歌舞伎町なのだそうですが、あのイメージとは違い、区役所通りにある稲荷鬼王神社にやって参りました。神主さんにお祓いをして貰っている若い男女が居りました。周りのビルと意地になって背高ノッポ競争をしている健気な銀杏の森には感動しました。
ガラスのビルに影を映す神社の銀杏の緑です。
中途半端な画像ですが、鬼王神社の天水琴です。大きな天水、瓶から伝って落ちる水の音を左の竹に耳を当てて聴くと地中から弦を弾くようなデリケートな音が聞こえてきます。ひとときし〜んとした世界に入り込む!
ここはどのあたり?あなた任せののんきなウオーカーは振り返ります。左遠く霞んでいるのは副都心の高層ビルでしょうか。
ハイ、こちらは新宿余丁町は職安通りの抜弁天こと厳嶋神社です。境内が南北に通り抜けられるので、抜弁天の名がついたとか。源義家もお参りしたそうです。通り抜けると良いことが有るかもしれないと、およしはちょこちょこと。
小さな池ですが、こんなに立派な鯉が悠々と泳いでおりました。
お散歩も終わり近く、突然ながら市ヶ谷刑務所跡に足を運びました。
刑務所跡は住居や公園になっております。ここで一休みしながら土地の変遷のことなど、縄文時代にまでお話は遡って参りました。住む人も長い歴史という「時の流れに身をまかせ〜〜♪」
徳川5代将軍綱吉の生母、桂 昌院の信仰が篤かったそうです。誰でも良いから出世して下さいとお参り致しました
奉納 金二百五十圓の石碑を飲み込もうとしている大きな木。都会の真ん中にこんな歴史発見!
お散歩の終着点は大江戸線若松河田駅です。
時間が早かったのでゆっくりお茶を飲んでイギリスの地下鉄テロの話や、パソコンのお話などして解散です。ほどよい疲れが心地よい夕暮れです。

パート2は”わくわくコリアンタウン”です。

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