2003年7月15日
昼前に成田を出発、昨年10月12日の爆弾テロ事件以来観光客が激減した為、フライトの便も随分減ってしまい、直行便が殆ど取りやめになり、ジャカルタ経由となりましたので、バリに着いたのは椰子の梢にま〜るいお月様がぽっかりと出た頃でした。
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成田空港で、出発便を待つ人々 |
赤道近くの機内のテレビ画像 |
ホテルは以前お嫁さん(イダ)が勤めていたシェラトン・ヌサ・
ドゥアです。
ホテルに着きましたら、奇麗な民族衣装を纏った2人の若い女性が手を合わ
せてご挨拶。両側に2人づつガムランを演奏する人たちが歓迎のメロディーを
奏でてくれまして何だかこそばゆい思いでした。
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ホテルの入り口でお出迎え |
バスローブにも歓迎の花! |
7月16日
バリ、シェラトンの朝です。
バリの夜明けは東京と比較して少し遅い・・・とは、早起き鳥の亭主
の言です。
サンライズ:6:35分 サンセット:6:15分で、日本とは時差1時間
おくれ。これは7月16日のものです。毎日ベッドメーキングの時に
細々したインフォメーションが記されたパンフを置いて行きます。
小さなベランダに3点セットが置かれていますが、上の階のベランダ
からは赤白ピンクのブーゲンビリアの花が垂れ下がり、前はプール、
視線を少し遠くに移すと椰子の緑が続いてなんだか映画のセットを
見ているようです。
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ベランダから |
視線を移せば・・ |
6月末に一足先に里帰りしたイダと孫のレイと昨日空港で再会し
これから2日間、このホテルで行動を共にすることになりました。
誰に似たのかじっとしていられない息子は朝早く近くを車で走るというので
じっとしていられない私と珍しくじっとしていられない亭主とでレンタカー
(トヨタ・キジャン)に乗り込みました。
話が行きつ戻りつ致しますが、このホテルのあるヌサ・ドゥアという地区は
特別区のようになっており、門を入ると一般の人の住む町とは別世界の
環境です。先の大統領、スハルトが観光客誘致の為に特別に作ったという
ことで、「インドネシアだってやればできるじゃん!」と思ったことでした。
ここにはいくつかのホテルがありますが、キジャンでヌサドウアのはずれ
まで行ってみました。サボテンなど生えていて、その向こうはジャングルです。
「元々はこういう所だったんだよ。」と息子はガイドみたいな事を言いました。
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ヌサドウアの外れ、サボテンの向こうはジャングル。 |
原風景のようでした。 |
息子のキジャンは今度はヌサドゥアの門を出て北に突き出している
小さな半島の突端、ブノアに向かいました。 所々に朝市が建って
人々が集まっていたり、これから学校に出かける子供達が歩いていたり
犬がのそのそ歩いていたりで生活感たっぷりです。
突端には海が開けており、漁船が沢山浮かんで居りました。
砂浜には男達がたむろして腰を下ろして海を見ながらおしゃべりして
居ります。車を降りて歩いて行きますと、はづれの家から上半身裸の男が
出て参りまして息子に何か話しかけて居ます。
ここから船に乗ってゆくとイルカが見られるそうで、観光船のPRなのだ
そうです。名刺をわたしてちゃんと営業しております。もしイルカを見に
行くのなら私に連絡して下さい。また、知り合いにも私を紹介して下さい。
安くしておきます、と。
その家の前に猿が一匹繋がれており、行ったり来たりする猫のしっぽを
捕まえたりして遊んでおりました。砂浜にはゴミが捨ててあり、痩せた犬たち
がえさをあさっておりました。
ここでも、一見のんびりしながら、生活の為に観光客を捕まえて一生懸命
商売を売り込むインドネシアの男の姿を見ました。
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朝のブノアの海岸風景です。クリックすると大きくなります。 |
いたずらモンキー。 |
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