東欧土産話 (11)



7月21日(木)

出発直前にTDさんから確認の電話が有りました。
その際、最終日は、空港への出発は午後3時で、午前中時間があるので急遽オプショナルとして、昼食付き、温泉入浴体験と、ワイン工場見学を設定しましたので、参加希望者は、水着を持って来て下さいとの事でした。但し、8名以上で 成立とのこと。

温泉と言えば日本。わざわざブダペストで温泉に入らなくても飲む温泉に行く事だし、それよりも、自分の足で歩いてみたいと思って申し込みは致しませんでした。

皆さんそう思われたのか、この計画は流れてしまいました。
ところが、ホテルから街の中心までは、少し距離がありそうで、サテどうしようと思って居りましたら、TDさんと会社とアニタさんで、新しい案を出してきました。

それに依りますと、
1) 英雄広場にある国立美術館を見る
2) 今世紀初め画家、作家などが好んで集まったニューヨーク・カフェでお茶を飲む。
3) バーツィー通りでお買い物。
4) 昼食

というものです。

これだけ自分では歩けません。8千円は高いかとも思いましたが、ウロウロしてくたびれもうけよりも良いと判断し申し込む事に致しました。

このオプションに参加しないメンバーが2組居りました。
一組は準備万端おさおさ怠り無いあの4人組と、温泉に入ってお寿司を食べたかったご夫婦です。
このご夫婦のご主人は、 来年定年退職とか、奥様は、プロゴルファーか水泳選手かといった体育系の明るい方。
結局ツアーの若い方たちが自由行動となりました。

人が行くというと、行きたくなってしまう温泉です。
体育系ご夫婦は、自由橋の袂のゲレルト温泉に行くつもりとか。
アニタさんにきいたところでは、朝6時から始まっているそうで、プールのような温泉は、混浴で、水着着用、男女別々の方は、日本と同じとのことです。体験を伺うのがたのしみです。

10時出発との事で、朝はゆっくりです
ほんの少し歩くと南駅で、そばにはスーパーマーケットがあります。 ガス抜きの水を買いながら朝の散歩です。

ブダの南駅先ず、駅に行ってみました。
改札口もなく、簡単にプラットホームに行かれます。列車がひっそりと停車しております。 駅のホールは人間が大勢。老若男女、人々の生活の匂いが漂っておりました。


沢山のパン ブダ地区、南駅に隣接のスーパーマーケットのパンの棚です。ハム、ソーセージ、パンは流石にとても美味しいと思いました。朝7時半頃の風景です。
白い花 ホテル、メルキュール・ブダの前の
公園に咲いていた白い花、
何の木か分かりません。
フォト・エクスプレスで、一寸油絵風にしてみました。


とうとうこのツアー最後の観光です。 再び美しいアンドラーシ通りを抜けて英雄広場の西洋美術館へ。
1500フォリント払うとビデオ撮影が許されます。例によってアニタさん に従って行きます。
ゴヤ、グレコ、ヴェラスケス、ラファエロ、レンブラントなど次々にかいつまんで見て回りました。




限られた時間です。集合時間を告げられた時、お仲間の一人が、「せっかく此処に来たんだからカフェでお茶なんか良いからもっと時間が欲しい」
と切実に訴えられました。そこで、TDさんとアニタさんが頭を寄せて、あと20分のお許しがでました。

ニューヨークカフェ デモネ、20分で目的の絵を探してゆっくり鑑賞するのはやはり無理でした。
みんなしてあっちえウロウロこっちへうろうろしている間に時間が経ってしまいました。

ニューヨーク・カフェはお流れかと思いましたら、ちゃんと連れて行かれました。
外郭の汚さからは想像も出来ないほど優雅でエレガントなカフェです。皆さん来て良かったという顔をして居られます。
1894年開店だそうです。貴族になった気分でカプチーノを味わいました。

ヴァーツィー通りは、ウイーンのケルントナーシュトラーゼに雰囲気が良く似ておりました。
ぶらぶら歩きをしながら、おもちゃ屋さんを覗いて見ました。小さなお店の中に楽しいおもちゃが一杯で、親子連れのお客さんに店員が「・・・ピカチュー・・」と言っているのが耳に入りました。

グンデルパンケーキ ブダペストで最後の最後の昼食は、カルパチアというレストランです。 ここの建物もまた立派です。みんなして畏まってしまいそうです。 美味しいランチにデザートがグンデルパンケーキ。クレープを4つ折りにしてチョコレートをかけたようなものですが、あまり甘すぎず、美味でした。

最後の観光を終え、ペストからドナウ川に架かる鎖橋を渡り、ブダのホテルへ向かいます。
この橋を渡るとトンネル、もうおなじみのブダペストです。でもいよいよブダペストとお別れです。





バスの中でアニタさんへの質疑応答が始まりました。


「今、共産主義時代に個人から没収したものを個人に返す べきではないかという議論が起きています。 政府もそれには反対しませんが、実際問題として、貴族から 没収した土地を返すとなると、ハンガリーの土地の半分以上 無くなってしまいます。

政府は貧乏なので、土地を返すどころか、没収した建物を修理 するお金も無いので、元の持ち主の貴族に、”あなたの先祖の 家を保存するためにお金を出して下さい”と言っている位で、 それは、あまりひどいという意見が出ています。」

「ハンガリーの消費税は25%で内税です。国にお金が無いので、 国家公務員の給料が一番安く、医者と先生の初任給は2万5千Ft から3万Ftです。これに引き替え、外資系の会社の初任給は、 大学卒で、6万Ftから10万FT位です。だから学校の先生になり たいという人が少ないです。」

「若い人は留学するならばドイツ語、英語がメインのEU圏の国へ 行きたがります。」

「今40歳、50歳位の人は、ロシア語を勉強させられたけれど、 みんな嫌がってあまり効果が上がりませんでした。政変の時から 英語、ドイツ語教育に変わり、若い人は大体話せます。」

「ハンガリー人の平均寿命は残念ながら日本人よりも10年少ない です。ハンガリーの諺に、”男の心への道は腹を通ってゆく”という のがあります。ラードをたっぷり使って肉に塩、胡椒、パプリカを 振って沢山食べます。最近、テレビのコマーシャルに、”美味しい ものを食べさせて男をGETしても早く死んじゃうよ”というのが 有るくらいです。」
(英語の諺にも”The way to a man's heart is through his stomach." というにがあるそうですね。)


色々お話を聞いている内に、予定どうり、午後2時にホテルへ帰り着きました。

ホテルの部屋はもうチェックアウトが済んでいるので、ロビーのソファに三三、五五とくつろいで出発を待ちます。
私のお隣に、予定通りゲレルト温泉へ行かれたご夫婦がいらっしゃいました。早速インタヴィユーです。

勇敢にも、ご夫婦別々に温泉にお入りになったそうです。おばさんが、エプロンみたいなものと、おおきな白い風呂敷みたいな布と石鹸一式貸してくれるそうです。
何にも持って行かなくても全部貸して呉れるとか。温度の話しはありませんでした。

お寿司は失敗だったそうです。
「やっぱり、こんなとこで旨い寿司を食おうと思ったのが間違いだった」とはご主人のお話。板前さんが日本人ではなかったそうで・・

自由橋を渡ったあたりで、前を歩いている人に、2人の私服警官を装った人が身分証を見せろとかなんとかやっていて、これは、本に書いてあった偽警官に違いないと気付いて大急ぎで、通り過ぎて来たと、臨場感たっぷりに話して居られました。

あの気になる四人組の自由行動はどんなものだったのでしょう。
話しが少し飛びますが、帰りの飛行機で、その中の「漁夫の利」さんと隣り合わせになりました。 120%満足されたそうです。
チェコもブダペストも一般のお店では通貨は、円、ドルは殆ど使えず、(免税店は別)マルクならば通用したそうです。
また、言葉も英語よりもドイツ語が良く通じたとか。我々は大急ぎで歩いたバーツィー通りもゆっくり歩いてヘレンドの陶器屋さんにも入って見たそうです。良かったですねー。

とうとうTime is up.です。空港へ向かうバスに乗り込みました。
飛びたった飛行機の窓から下を覗きますと、ドナウ川とそれに架かる橋、ブダ、ペストの美しい尖塔などがはっきり見えました。

何だか胸が、きゅーんとなりました。
たった二日間の事でしたが、アニタさんのお陰で、ブダペストに親戚でも居るような気持ちになりました。


何時も、後で気が付く私です。
どうしてアニタさんのアドレスを教えて貰わなかったのだろう!
御礼を言いたかった。写真を送って上げたかった。

今日も少し肥ったアニタさんは、ブダペストの街で、愛を込めてガイドさんをしているのでしょうか。

おわり



もしも最後までお読み下さいました方が居られましたら、御礼の申し上げようも御座いません。
本当に有り難う御座いました。およし、大感激でございます。



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