再びのインドネシア:中央ジャワ編 3
スダッ・マラム

スダッ・マラムの花


イダの故郷マグランの見物を終わり、いよいよ久しぶりにイダの両親に会う為に 帰路に就きます。ゲートのような所をくぐりました。
「この上は運河になっています。オランダが作ったもので今でも使っています。小さい頃、 友達と遊びに行って危ないと良く叱られました。」「え?オランダの運河!見たい!」と 思いましたが、もう通り過ぎてしまいました。

やがて久しぶりにイダの実家に到着です。家の前にジャックフルーツの木があり、人の頭より 大きな実がなっておりました。去年3月に来た時には気がつきませんでした。 イダの両親と再会の抱擁を交わします。お互いに言葉は通じませんが昨年は居なかった孫を 中にして思わず微笑みが零れます。近くの親戚縁者も来て下さり、ささやかな家庭パーティー です。応接間には良い香りのする花が飾ってありました。Sudap malam(スダッ=良い香り マラム=夜)という花で、夜になると良い香りを放つのだそうです。 部屋一杯に花の香りが満ちておりました。(上の画像がその花です。)

従兄姉達と 家の前のジャックフルーツ

上の画像は初めて会った従兄姉達と孫と一緒に。右の画像は、手前左上にジャックフルーツ の実がぶら下がっております。
昨年はお互いに大変緊張して居りましたが、もう、家族同然、 人種の差も何もありません。不思議な気持ちです。真夏の気候ですが、熱帯というのに 扇風機一つで窓やドアは開け放ち、涼しい風が入って参ります。恐らく戦前の 日本の田舎の夏のような具合なのでしょう。小さな子供達が前庭を走り回って楽しげに遊ぶ 姿はとても良いものでした。

7月24日
今日はブンガワ〜ンソロ〜♪のソロへ行く日です。是非是非行きたかった所です。今日も イダの義兄に当たるトトさんのお世話になります。わざわざ会社をお休みして下さったそうです。 ソロにはイダの学校時代のお友達が小学校で英語を教えて居るそうで、その方がこれまた学校を お休みしてソロの街を案内して下さるとのこと。皆様、スミマセンm(_ _)m。 今日の車はトトさんのホンダストリームです。それでは、いざ出発!

マグランからソロ迄は70キロくらいだそうです。折角なので、山越えをして行こう という事になりました。町を離れ、段々高度が高くなってきました。周りにカサヴァ畑が続きます。 カサヴァとはお芋の一種のようです。見た所、麻のようでした

少し行きますと、バラの畑がありました。赤いバラがこんな所で栽培されているのは意外でした。「案外葡萄なども出来るのではないかしら」と言いましたら、「ここはイスラムの国だから酒類は作っても売れないんじゃないか」とは息子の言です。輸出という手もあるよ、等と、何故かインドネシアの経済発展の為になりそうな事を考えてしまいます。「日本人はすぐそういうことを考えてしまうけど、こっちの人間は、何とか食べてゆかれれば、それ以上の事は考えないんだよ」と。そうですか・・・

今度はタバコ畑です。おばあさんが働いて居りました。いかにも高度が高くなったようで、霧がかかって涼しくなってきました。左側に堂々たるテロモヨ山が見えてきました。

タバコ畑 テロモヨ山

上の画像はタバコ畑です。真ん中でおばあさんが作業中です。やがて車はマグラン県から スマラン県に入りました。マグラン県側には「Slamat jalan」さようなら、の看板、スマラン県 側には「Selamat datang」ようこそいらっしゃいの大きな看板が掲げてありました。やがて牛乳 で有名なボヨラリという所を通過です。牛乳を運ぶ馬車が見えました。馬車の事を「アンドン」 と言うのだそうです。

段々ソロに近づいて参ります。話題がソロの事に移ってゆきました。ソロはスハルトの故郷 なのだそうです。そんなわけで彼はソロに国際空港を設置したかったのだそうですが、その前に失脚 してしまったとか。トトさんの車は快調に走り、イダのお友達の待つノボテル・ソロへとまっしぐらです。

   

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