6月21日 グラーツ〜アイゼンシュタット〜グラーツ 今日はグラーツから北東約175Kの「ハイドンの故郷、アイゼンシュタット」に向けて出発です。抜けるような青空の上天気。昨日の風見鶏の天気予報が的中致しました。ツアーの人数が少ないのでバスは1シート独り占めです。ゆったりとくつろぐバスの窓にやがてシェーネベルクの山並みが現れました。山頂には所々に真っ白い雪を見ることが出来ます。 ↓シェーネベルクの山並みを油絵風に。 ここアイゼンシュタットもグラーツに負けぬこじんまりした美しい所でやはりこの教会のタマネギ屋根の上には羽根の生えたエンジェルをかたどった風見鶏が風にゆらゆら動いておりました。 美しい教会の礼拝堂を通り抜けて地下に行きますとキリストの受難の様子が子供にも分かるように人形を使って展示した部屋がずらりと並んで居りました。そして地下の一隅に立派なハイドンの棺が安置されておりました。 ガイドブックには「長らくここにはハイドンの首は無かったが、1954年に返還された、といういわくつき」と書かれておりますが、棺の中に眠るハイドンについて書かれたHPを見つけました。興味のある方はこちらをどうぞ。 ベルク教会(ベルクとは丘のことだそうです。)から徒歩でエステルハージー城へ参りました。途中可愛い幼稚園の子供達の列に出会ったりして楽しいウオーキングです。 エステルハージーはハンガリーの貴族でここの領主でもあり、ハイドンがエステルハージー宮廷音楽家となりました。そして、ハイドンの為にハイドンザール(ホール)が作られたそうです。ハイドンはここで作曲、指揮、管理をして自身、チェンバロ、バイオリンなどを弾いたそうです。このホールはウイーンの楽友協会が出来るまではオーストリアで一番音響効果が良いホールと云われたそうです。 幾つかの部屋を見た後、丁度この日はコンサートが無かったので、私たちもそのハイドンザールでスクリーンの映像を見ながら音楽を聴くことが出来ました。このホールの床はかつては大理石でしたがハイドンの希望で木版が張られたそうです。ハイドンの時代にタイムスリップして何時までも聴いて居たかった!とても心地よいひとときでした。 シューベルトの未完成交響曲の話しが出ましたが、この楽譜は何と、グラーツで発見されたとの事です。ハイドンにしてもシューベルトにしてもこのあたりを行き来していたのだと思いますと、踏みしめる道が特別の道のように思われてまいります。 さて、エステルハージー城を後にして、ハイドンが住んでいたという家に参りました。ここは今はハイドン博物館になっており、彼の自筆の楽譜や当時使ったピアノやオルガン(古楽器)、ヴァイオリンなどが手も触れんばかりの所に置かれてあり、壁には悪名高き?ハイドン夫人の肖像画なども掛けられて話題を提供しておりました。 ハイドンの家の小さな窓辺にはピンクや紫の花々が飾られて狭い道を隔てた向こうの家の窓なども見え、生きている時から才能を認められた人の家としてはこじんまりとして親しみのある家でありました。 アイゼンシュタットという初めての町は私の心に優しい小さくて美しい町、という印象を与えて呉れました。音楽を巡る観光を終わり、再びグラーツに戻ります。 |