6月21日 グラーツ つづき
  
 帰りのバスの中で添乗員さんに、
「ホテルに帰ったら、グラーツのオペラ座でヴァイオリンを弾いている方にお会いするので夕食はキャンセルします」と申しますと、「宜しければお食事ご一緒なさっても構いませんよ」と仰います。では話しの具合でではそうさせて頂きます、とフレッキシブルに。添乗員さんは親切に夕食のレストランの名前を教えて下さいました。バスが予定よりグラーツに早く着いたので、皆さんは例のヨハン大公の銅像あたりを散策してからレストランに行く予定との事でした。

バジルさんと私はホテルに着き、一息してロビーに出ますと、間髪を入れず、日本車を駆って友達の息子さんのIさんが到着です。私はロビーに用意して置いたお母様から預かってきたお土産の袋を先ずドッコイショとお渡し致しました。

 この旅に出発直前、グラーツの息子、Iさんのお母様にお会い致しました。
「折角だから何かお届けするものがあったら持って行くわよ。」と申しましたら彼女の顔がパッと輝いて、「えっ、ほんと?」と言うわけで、何を持って来たかと申しますと・・・・・
そーめん、のり、真空パックのうなぎ、おせんべい、佃煮、水を浄化する石ころみたいなもの、(そんなに重く無い。水は良いとはいえ、やはり多少石灰分があるそうです。)歴史小説本、お嫁さんのお母様がご病気で、もしかしたら効くかも知れないと、お見舞い用のアガリスクきのこ、それにバジルさんと二人で「虎屋の羊羹」などなど。

「や〜、お袋にあまりお持たせしちゃダメだよって云ったんですけど・・」と、でも嬉しそう!
母の愛をしっかりお届け!早速車に乗せて頂いて、グラーツのオペラハウスへ向かいました。

「今日は月曜日でオペラが休みの日なんですよ。残念だなぁ。アレッ、しめしめ、電気がついているぞ、何かやってるなぁ。」舞台に青色のライトが当てられて、俳優さんが二人オペラの照明のリハーサル中でした。

息をひそめてホールの上のほうから眺めますと、ウイーンのオペラ座も素晴らしかったですが、こちらの方が少し小さい感じですが、ウイーンのそれよりも、もっと美しく思われました。
グラーツのオペラ座のサイトを見つけました。
お土産に頂いたオペラ座のチョコレートのデザイン
 
普段は見る事の出来ないガラス張りの機械調整室や、出番を待つ部屋、ここが歴史ある建物である証拠のような、豪華が貴族用の控え室など覗いてバジルさんとため息です。

ロビーから見上げたところ

 さて、折角添乗員さんが食事を一緒にと仰って下さったので、いつもオーストリア人に囲まれているIさんも(奥様もオーストリア人)偶には日本人の群れに入ってお話するもの良いのでは・・とお誘い致しました。
「母が気に入っているレストランにお誘いしようと思ったんですがぁ」 それもすご〜〜く魅力的でしたが、結局ツアーの皆さんと合流して賑やかな夕食となりました。

伊勢エビ?の看板が目を引くレストラン。  添乗員さんと並んでレストランに入るIさん。

 Iさんはそのお人柄からすっかり皆さんの心を虜にしてしまいました。皆さんも音楽の旅の仲間ですから音楽大好き人間ばかり、そこにオペラ座でヴァイオリンをひている押し出しも良い、声も低音の魅力の若いIさんが飛び込んできたのですからモテモテです。

ウイーンフィルとベルフィルの違いについて、アーノンクール(IさんはハーノンクールとH音を少し入れる)の音楽について、などの音楽話から食べ物、ワイン、日本食でたべたいもの、お母様が以前100キロもの荷物を背負って抱えてきたことなど、話題は尽きません。

ウイーンフィルとベルフィル
については、さもありなんというお話。
ウイーンフィルは指揮者や観客など、その時の条件で気が乗れば120%の演奏をするけれど、その反対の場合には80%以下の事もある。メンバーも大勢いるので、その構成によっても変わってくる。ベルフィルは何時如何なる時も、常に98%の演奏をする。と。かつて東京で聴いたベルフィルに大感動した事を思い出しました。うんうん♪
また、3日目に聴いた楽友協会でのウイーンフィルの演奏はムーティーのお陰で絶対に100%以上であったように思いました。うんうん♪

 そろそろお別れの時間となり、外に出ますと雨が降っておりました。毎日朝晴れていても、急に雨が降り出す変わりやすい天候です。添乗員さんが「バスは此処まではいれませんから・・」と声を上げますとIさんが、「いや、入れますヨォ〜」

ザルツブルクから来たドライバーさんに説明して、ガイドさんのガイドを買って出るIさん。 「トラムが来ないうちに大急ぎで乗っちゃえば良いんですよ」と雨に濡れながら別れを惜しむ我々をバスに押し込んで下さいました。

「家の息子は何でもしてくれるから遠慮なんかしなでね。」と仰った友達の顔とIさんの顔がダブって見えました。短い時間でしたが、グラーツを忘れる事が出来ない町にして下さったIさん母子に感謝感謝でした。