6日目 6月22日 リンツへ。
スーツケースを7時半までにドアの外に出して出発は8時です。ブルックナーの故郷、リンツまではバスで230キロだそうです。途中クレムスミュンスター修道院という所で休憩。ここはリンツの南32キロ余のクレムス川の近くにあるそうで、バスで走りましたので土地勘がつかめませんでした。このクレムス川に添って行きますと昔行った事のあるメルクの修道院に辿りつく事が後で分かりました。
クレムス川のあたりを美しく表現しているサイトを見つけました。
この修道院は777年に始まった大変古いもので、後にリンツのザンクトフローリアン修道院も見学してあまりの規模の大きさ、宮殿と見まがう美しさに心からビックリ致しましたが、以前見たメルクにしても、ヨーロッパにおける修道院の存在って何だったのだろう?すごい権限を持っていたのだろうなぁと、暫し考え込んでしまいました。
透き通った水に魚の泳ぐ川にかかる橋を渡ってクレムスミュンスター修道院に。
ここでは修道僧達が作ったワイン、リキュールなど、お酒を売っておりました。私もどんなものじゃいと、小瓶のリキュールを求めました。何だかお薬のような味でした。
私のメモには、「クレムスミュンスター・・・草の匂い」とありますのできっと修道院のあたりで爽やかな草の匂いに感動したのでしょう。また、メモにドナウの支流クレムス川に沿ってミッケルドルフ、キルヒドルフがある(キルヒ、キルヒェ?は教会)。エートヴィーレン(いちご)が沢山採れる等とありました。メモが無ければこのあたりの事は通りすがりの出来事でしたので忘れてしまった事でしょう。
「みなさん、久しぶりのドナウ川ですよ〜」と添乗員さん。
ああ、本当に懐かしのドナウ川です。またメモに依ればここに掛かるニーベルンベゲン橋を渡ってリンツ旧市街へやって参りました。
何故リンツかと申しますとガイドブックに依れば、モーツアルトはこの町の為に交響曲「リンツ」を書き、ベートーベンもここで交響曲「第8番」を作曲、そしてアントン・ブルックナーはこの町の旧大聖堂で12年間オルガニストを努めたとの事で、今でも毎年秋に
「国際ブルックナー音楽祭」が催され、世界中から有名な音楽家が集まるという所、「音楽の旅」としては立ち寄って当然であった訳です。
昼食後、リンツの中央広場から市内観光が始まります。
此処は大変広い石畳の広場で、テント張りのお店なども並び、野菜やパン、サンドイッチ、ソーセージから手芸品、土産物まで売っております。広場の一隅では路上チェスに余念のない男性達、それを眺める人々の姿も平和そのもので、のんびりとした雰囲気を醸しております。
この広場を囲むある建物に何という事のないテラスがついておりました。ところが、第2次大戦中、ヒトラーがそこで演説したというではありませんか!ビックリして目が覚める思いでこのテラスを仰ぎました。この広場が人々で埋め尽くされ、一斉に「ハイル・ヒトラー」と叫んだのですね。
リンツも旧市街にバスが入れませんので、歩け歩けのウオーキング観光です。新大聖堂、モーツアルトが滞在し、交響曲「リンツ」を書いた部屋、州庁舎(中庭にケプラーの惑星の泉と云われる噴水がある)、ブルックナーがオルガニストを努めた旧大聖堂、ブルックナーハウス、そしてバスでザンクトフローリアン修道院へ。
ここでも大聖堂が新、旧と二つあって、どうもこんがらがってしまいます。
メモに依ればブルックナーがオルガニストを努めた旧大聖堂は司教のいる教会でバロック式とあります。新大聖堂の塔は初めは137mあったそうですが、シュテファン寺院のあるウイーンの反対があって、一寸低い134mになったのだそうです。で、こちらはゴシック式とか。
州庁舎は16世紀後半に建てられたルネサンス様式の建物で中庭に立って暫く往時の”貴婦人”になったツモリになりました。この建物の隣のピンク色の建物で神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ3世が亡くなったとかあっちの薬屋にブルックナーが居たとかあそこに天文学者のケプラーが住んだとかまるで昨日のお話を聞くようでした。リンツってすごい町だったんだぁ〜
では、リンツの街を一寸画像散歩致しましょう。
ブルックナーハウスはドナウ川に沿って建てられた大きくてモダンなコンサートホールでした。周囲は緑の公園のようになっており、噴水もあって、美しい風景です。空は青いし、女性も綺麗!木陰でほっと一息です。
リンツを流れるドナウ川 ガラスに目を瞠るブルックナーハウス
木陰のモニュメント
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